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茶目太、今年度最後の授業(4)
         anniversary2-2_20100319221628.jpg


 では、ちいさんのブログからその詩的な風景を…

(こちらにも同じ内容で載せていますが、実際に、ちいさんの
ブログ『きらきらいぬ日和』で読まれるともっと素敵です。
 どうぞちいさんのブログでご覧下さい。2010.02.10 付 )




       『神様の木』



子どもの頃のわたしはよく木に登った


住んでいた家の近所に10mくらいの高さの木があって
登るにはちょうどいい高さの木だった。


わたしは
ひょいひょいとテナガザルのように
てっぺんまで登っては
さわさわと揺れる葉っぱの間から顔をだして
世の中を観ていた。


兄や弟と一緒のときもあったが
木に登るときたいてい一人だった。


そしてたいてい夕暮れだった


あのころのわたしには
空気の中にある粒粒がみえていた


その粒子の中にあったもの。


なんだか子どものわたしにははかりしれない
悲しみや不安
そして大きすぎる夢や希望。


危ういものまでが
ものすごい密度で含まれていて
その光の粒粒は
わたしを包み込みそしてぱちんと弾けたりした。





こどものころ
わたしはひとりで留守番ができない子どもだった。


家に母がいないということがほんとは一番怖かった。


それを口にすると
一番恐れていたことが現実になってしまいそうで
そして
家族が悲しむと思ったので決してわたしはそのことを口にしなかった。


兄もきっとおんなじ気持だったと思う。
もしかすると私以上かな。


そして
そんな気持のときも
相変わらずわたしは木に登り
そのときは必ず
神様にお礼を言った。


「神様ありがとう。神様のおかげで鉄棒の逆上がりができるようになりました。」

「神様ありがとう。星がなんだかきれいになってきました。
あっ、風もやみました。
明日はきっと晴れます。
神様のおかげです。ありがとう」


こどもなりに神様のご機嫌をとって
わたしの一番の願いが叶いますように
と神様ととりひきみたいなことをしていた


あの頃のわたし






今日仕事の打ち合わせが終わって外に出ると
あのときと同じ
まだ空気は冷たいけど確実に春が近付いている
そんな匂いがした




ふと
あのとき
わたしを支えてくれていた木を思い出した。


わたしが何をしても

友達と楽しくお話しているときも
一人で泣いている時も
笑っている時も
ずっとずっと黙ってそこにいて
風に吹かれて
雨にぬれて
じっと一緒にいてくれた木。

そして今もあの場所に帰れば
花を咲かせて生きていてくれる。


あの木はわたしの神様なのだ。





今日無性にこのことを書き留めておきたくなった。


もう一度あの木に
ありがとうの思いをこめて会いにいこう
ってね

神様は自分の身近にきちんといてくれたのですよね。





これからも
きっと
わたしのすすむ道は
あの頃とまったく同じ

自分で決めていく。


これからもわたしの人生を、歩く。


そんなふうに改めて思った今夜です。







以上ちいさんの詩でした。

皆さんも、幼い日に重ねて、ちいさんの詩を心に受け止めて
ください。

 生徒にも既にこの哀しみは理解できるようです。

 人が生きていくには、良いことばかりではないし、理不尽な
こと、解決しようにもできないことがたくさんあって、辛いこ
との方がはるかに多いということ。

 外から見て、どんなに恵まれた生活をしていようと、決して
満たされているとは限らないということを。


 生徒には自分の幼い日、木に登ったことがあるか訊いてみま
した。意外にも、皆それぞれ登ったことがあると答えました。

 舗装されていない道など見つけることが稀な現在、登れそう
な木などあるのかと思っていましたが、それでも高々十四五歳
の生徒たちが、木に登ったことがあるということに、私は少し
嬉しくなりました。まだ子供たちが登る木があったことに。


 木に登るという行為は、確かに、人が神様に距離的にも近く
なる、そんな気がします。

 神様に近くなる、それは自分が自分と対峙することかもしれ
ません。

 それは、神様が自分自身の心の中にあるのだと、無意識のう
ちに理解する瞬間かもしれません。

 それでも人間は弱い。だから何かに神様になって貰い、安心
する。木であれ何であれ。神様が宿るものを作りだす…

 神様というものを作った人間の知恵に思いを馳せる茶目太で
した。


 人は、生きて息をしている限り、解決できようもない孤独感
と大切なものが増えていくのにしたがって、大切なものを失う
時のたまらない悲しみに遭遇します。

 生徒は、ちいさんのこの詩を読むことで、それぞれが心の奥
に普段は閉じ込めている想いを少しだけ意識して取り出したこ
とでしょう。

 授業の終わりに、この詩への感想と、一年間の授業の感想、
来年度の授業に対しての要望を書いてもらいましたが、詩の印
象が強かったためか、詩への感想に集中して私の授業への感想
が今一つでした(泣)


 明日は、生徒たちの感想を・・・

 お楽しみに。

 ・・・ちいさん、ありがとうございました。






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続編を書いてみました^^
茶目太先生~♪

今夜はその神様の木の少女(ちいさん)の
続編を書いてみました。

茶目太先生~
わたしこのブログ読んでたら
茶目太先生にあの頃のわたしが
「よしよし」
されているようで涙が出そうになりました。

心の浄化が完全に出来ました^^

茶目太先生のおかげですっ♪
ありがとうございます!(^^)!


続編読みますね。
 ちいさんへ

 私こそ、ちいさんの哀しみの波動に乗ってしまい、なぜか号泣したのですよね(笑)小さい頃のちいさんがいとおしくてなりませんでした。そしてそのちいさんの姿は自分の姿でもあったような気がするのです。同じ体験を通しての悲しみではないの、「哀しみ」というものを悲しんで、私の心も浄化できたのでしょうね。
 これから、ちいさんの続編を読みに行きますよ~


前にも読んでいるのに、ちいさんの「神様の木」はその時々によって印象が違います。

その時、今の私、心のありよう、変化する詩です。


そうですね。受け手のこころの状態で変化しますね。
 ミリわんさんへ

 国語の授業は、本来こういう日常のなかで、ふと出会った心の「つぶやき」を、どういう風に自分の現在と重ねていくかですよね。


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茶目太、幼少の頃

茶目太

Author:茶目太
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入学してきた、少人数制の高校の生徒たちとの学校生活と 
のほほん私生活。
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やさしい息子と超天然の母が、                いつも茶目太の味方。
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